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名古屋地方裁判所 平成6年(ワ)1486号 判決 1998年3月19日

原告

中川徹

外一九名

原告ら訴訟代理人弁護士

松葉謙三

斉藤誠

矢花公平

米山健也

石坂俊雄

平井宏和

名嶋聰郎

新海聡

被告

安部浩平

外六名

被告ら訴訟代理人弁護士

片山欽司

井上尚司

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、訴外中部電力株式会社に対して、各自金二億円及びこれに対する平成六年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  はじめに

本件訴訟は、中部電力株式会社(以下「中部電力」という。)の株主である原告らが、被告らに対し、被告らが同社の取締役として平成五年一二月一六日に三重県度会郡南島町の古和浦漁業協同組合(以下「古和浦漁協」という。)に対して二億円を支出したことにより(以下「本件支出」という。)、同社に損害を与えたとして、同社の取締役としての責任を追及する株主代表訴訟であり、訴訟物は、被告らの中部電力に対する善管注意義務違反ないし忠実義務違反に基づく中部電力の被告らに対する損害賠償請求権及びこれについての遅延損害金請求権である。

二  争いのない事実

1  当事者について

(一) 原告らはいずれも、平成五年九月一七日から現在まで引き続き中部電力の株式を単位株である一〇〇株以上保有する株主である。

(二) 被告太田四郎(以下「被告太田」という。)は、昭和五八年六月に中部電力の取締役に就任し、平成三年六月に代表取締役副社長兼立地環境本部長に就任し、本件支出当時は右職にあった。

被告殿塚猷一(以下「被告殿塚」という。)は、平成三年六月に中部電力の取締役に就任し、本件支出当時は、取締役立地環境本部本部長代理の職にあった。

被告安部浩平(以下「被告安部」という。)は、昭和五四年六月に中部電力の取締役に、平成元年六月に代表取締役に、同三年六月に代表取締役社長にそれぞれ就任し、本件支出当時は、右職にあるとともに電源総合対策会議の構成員であった。

被告齋藤孝(以下「被告齋藤」という。)は、昭和五八年六月に中部電力の取締役に、平成三年六月に代表取締役副社長に就任し、本件支出当時は、右職にあるとともに電源総合対策会議の構成員であった。

被告新井市彦(以下「被告新井」という。)は、昭和六二年六月に中部電力の取締役に、平成五年六月に代表取締役副社長に就任し、本件支出当時は、右職にあるとともに、電源総合対策会議の構成員であった。

被告内田敏久(以下「被告内田」という。)は、昭和六〇年六月に中部電力の取締役に、平成五年六月に代表取締役副社長に就任し、本件支出当時は、右職にあるとともに電源総合対策会議の構成員であった。

被告木村洋一(以下「被告木村」という。)は、平成元年六月に中部電力の取締役に、平成五年六月に、常務取締役企画室長に就任し、本件支出当時は、右職にあるとともに電源総合対策会議の幹事であった。

2  本件支出について

(一) 平成五年一二月一五日、中部電力と古和浦漁協との間で、次の内容の預託に関する覚書が締結された(甲二の三、甲二六の四)。

① 古和浦漁協は、中部電力が実施する海洋調査に必要な同意手続を誠意をもって進める。

② 中部電力は、海洋調査の実施にあたっては、これに伴う損失金(補償金)を支払う。

③ 中部電力は、補償金の一部として二億円を預託する。

④ 古和浦漁協が海洋調査に同意し、補償金が確定したときは、預託金は補償金に充当する。

⑤ 預託期間は、一年間とし、預託期間内に預託金を補償金に充当できない場合には、古和浦漁協は中部電力に預託金を返還する。

⑥ 預託金の返還方法については別途協議する。

(二) 中部電力は、同月一六日、右覚書に基づき、古和浦漁協の口座に二億円を振り込んだ。

三  争点

1  中部電力が古和浦漁協に対して本件二億円を支出したことは、被告らの代表取締役又は取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に反するか。

(原告らの主張)

本件支出は、以下の三点において、善管注意義務ないし忠実義務に反し、違法である。

(一) 第一に、支出の目的において違法性が認められる。

本件支出は、芦浜地区における原子力発電所(以下「芦浜原発」という。)建設計画を進めるにあたり、環境調査の一環である海洋調査についての実施区域にある古和浦漁協の組合総会における同意決議を得るため、同漁協及び同漁協組合員の経済的窮状につけこみ、海洋調査に同意しない場合には返還しなければならないといういわばひも付きの金員が同漁協の組合員に渡ることを企図して行われたものであり、本来自律的かつ自由であるべき漁業協同組合(以下「漁協」という。)の組合総会の意思決定過程を歪めることを目的とする点において違法である。

(二) 第二に、支出の多額性において違法性が認められる。

被告らは、本件支出の二億円という額は、海洋調査を実施した場合において本来漁協に支払われるべき実害補償額の範囲内であるとするところ、海洋調査によって影響を受けるべき実害の範囲は、以下のとおり算定すると、別紙①のとおり約六万五〇〇〇円にしかならないので、本件支出は不当に多額である。

① 調査期間については、古和浦漁協の海洋調査等検討委員会が作成した答申書(甲八〇)では、海洋調査の期間について一年間と明記されていることなどからも、一年間として算定すべきである。

② 定点調査に要する占用面積については、ブイは複数のチェーンで海底の錘(アンカー)につながれ、殆ど動かないのが通常であり、また、ブイが移動するような台風等波浪等が強い等の悪天候のときには、漁業者は、漁業には従事できず、漁業に対する損害は存在しない。支障範囲は、せいぜい、古和浦湾内では半径一五メートルの圏内、湾外では半径二五メートルの円内でみておけば十分なはずである。

③ 漁業所得(養殖漁業)の減少額については、実際に養殖に使用されている面積は、1万2148.7平方メートルとなり(現状では養殖いかだは、はまち三二台、たい一〇三台、あじ一二台の合計一四七台であり、それぞれの大きさが三〇尺(9.09メートル)四方、一台の養殖いかだの占用面積は、82.6平方メートルである。)、これが区画漁業権設定区域の許可面積である九四万九〇〇〇平方メートルに占める割合である約一三パーセントが養殖漁業に影響を与えるとして算定しておけば十分なはずである。

④ 漁業所得(一般漁業)の減少額については、一般漁業は共同漁業権設定区域内のみで行われているわけではないし、また、古和浦湾内では、一般の漁業はほとんど行われていないから、共同漁業権設定区域内の全体面積に占める占用面積分の割合に対応した漁業所得が減少するとみなして算定するのは適切ではない。

⑤ 魚類養殖の年間支障率に関する四季定点調査については、生簀の移動は容易であり、現に台風などのときは移動しているから、実際に占用する年間六八日間を基礎に算定すべきである。

⑥ 所得率については、三重県農林水産統計年報(甲五二ないし五六)及び「沿岸漁業等の動向に関する報告書」(甲六三ないし六八)からすると、最近の養殖漁業の不振を反映して、養殖漁業の利益率はきわめて低いことは明らかであり、「三重県漁業の動向」(甲六三、六四)によれば、ぶり養殖については、昭和六二年から平成二年の所得率は約一五パーセントであり、また、たい養殖については平成三年の所得率は約三二パーセントであるから、養殖漁業の利益率についてはせいぜい三二パーセントでみておけば十分である。

(三) 第三に、本件支出は、その目的である海洋調査の実施の見込みがないままに支払われたことにおいて違法性が認められる。

被告らの主張によると、本件の二億円は海洋調査実施を前提としてその際の実害補償額を事前に預託したということであるが、本件二億円を古和浦漁協に支払った際には、環境影響調査の一環としての海洋調査実施の見込みがなかった。なお、自主的な調査実施の見込みがあったとしても、それは環境影響調査としての意味がない。

(被告らの主張)

本件支出は、以下のとおり違法ではない。

(一) 本件支出の目的について

否認する。

本件支出は、古和浦漁協の要請に基づき、右漁協の漁業経営基盤の整備のために託されたものであり、海洋調査実施の同意決議が得られる見通しを前提になされたのだから、原告らの主張は失当である。

(二) 本件支出の多額性について

否認する。

海洋調査の実施にかかる実害補償金の額については、被告らの算定によれば、その金額は別紙②のとおり一年間で約九五〇〇万円であり、海洋調査の実施期間の三年間では、二億円を超えることは明らかである。

(三) 海洋調査実施の見通しについて

否認する。

本件支出当時、古和浦漁協が海洋調査実施に同意するのはほぼ確実であると判断されるような事情があり、海洋調査実施の見通しはあったし、少なくとも原発を立地推進するうえで意義のある自主的な調査を実施する見通しはあった。

2  被告ら各自の責任

(原告らの主張)

(一) 被告太田は、本件支出当時、代表取締役副社長兼本店立地環境本部長の職にあり、取締役として会社の業務を適正に執行すべきであるのにこれを怠り、本件支出の最終的な決裁権者として、本件支出の違法性を十分に知りながらこの支出を積極的に企画・立案・推進し、決裁した。

(二) 被告殿塚は、本件支出当時、取締役兼本店立地環境本部本部長代理の職にあり、取締役として会社の業務を適正に執行すべきであるのにこれを怠り、被告太田の下において、本件支出の違法性を十分に知りながら、中心となってこの支出を積極的に企画・立案・推進した。

(三) 被告安部、被告齋藤、被告新井、被告内田(以下「被告安部ら」という。)及び被告木村は、取締役会の構成員として会社の業務執行の適正について監視すべきであるのにこれを怠り、被告安部らは電源総合対策会議の構成員であり、被告木村は企画担当常務として同会議の幹事であるところ、いずれも本件支出に関して開催された電源総合対策会議にそれぞれ出席し、本件二億円の支出についての説明を聞いて、この支出について反対をしなかった。少なくとも右会議において賛成が得られなかった場合には、本件支出はされなかった。

(被告らの主張)

争う。

被告太田及び被告殿塚は、取締役としての業務の適正な執行を怠っていないし、被告安部らは、取締役としての業務執行の適正についての監督を怠っていない。

第三  争点に対する判断

一  証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  背景事情等について

(一) 中部電力は、昭和三八年に熊野灘沿岸に原子力発電所を建設する計画を発表し、翌昭和三九年七月、候補地のうち、三重県度会郡南島町、紀勢町にまたがる芦浜地区に原子力発電所(以下「原発」という。)を建設することを正式に発表した。なお、南島町議会は、同年六月二二日、原発反対を、紀勢町議会は、同年七月二七日、原発誘致を決議した。

(二) その後、芦浜地区は、昭和五二年六月に国の「要対策重要電源」(電力の長期的な需給安定確保のために特に重要な電源として総合エネルギー対策推進閣僚会議の了解に基づき指定する電源)に指定され(乙九)、同五九年に、南島町が国の原発立地促進関連の補助金を予算計上し、翌六〇年には、三重県議会が原発立地調査推進を決議するなど芦浜原発推進に向けての動きがあり、このような状況のなかで、中部電力は、昭和六三年に策定した「長期経営計画大綱」において芦浜原発の立地推進を重要な経営方針としたが(乙一〇)、一方で、地元住民による原発立地反対の運動などの動きもあった。

(三) 原発を建設するためには、まず事前に気象、海象、海生生物、地形地質、社会環境等周辺の環境に対する影響を調査し(環境影響調査)、環境影響調査書を作成して通産省に提出することになっているが(発電所の立地に関する環境影響調査及び環境審査の強化について 昭和五二年七月二五日五二資庁第八八九六号 乙一)、海洋調査は、環境影響調査の内、海域部分の調査であり、水温、波浪、流況等の海象や海生生物の生息状況、海底の地形地質や海上の大気の状況等の調査をするものである(乙二〇)。

海洋調査をするためには、調査対象区域に漁業権を有している漁協の同意を得なければ、調査に着手できないが(乙二〇)、芦浜原発の建設により影響を受ける海域の漁業権を有している漁協は、古和浦漁協、錦漁業協同組合(以下「錦漁協」という。)、長島町漁業協同組合(以下「長島町漁協」という。)、方座浦漁業協同組合(以下「方座浦漁協」という。)の四漁協である(甲一七)。

(四) 古和浦漁協は、芦浜原発建設予定地の前面海域である南島町古和浦地区の共同漁業権等を有する漁協であり、正組合員の人数は、二一五名である(平成六年二月一八日現在)(甲三二、甲七九)。

同漁協は、昭和三九年二月、原発反対決議をして以来、反対派が大勢になっていたが、平成五年四月三〇日の総会で、理事七名中四名を推進派(うち一人は推進派と共闘する中間派)が取り、初めて推進派の執行部が誕生するとともに、組合長には推進派である上村有三組合長が選出された(甲五〇の一〇ないし一七)。

2  本件支出に至る経緯

(一) 推進派執行部誕生以降の古和浦漁協の動き

古和浦漁協では、かねてより養殖漁業の不振、諸経費の高騰、漁価の低迷等による組合及び一部の組合員の漁業経営の悪化が問題となっており、その改善が大きな課題となっていたところ、上村組合長は、平成五年六月発足した業務運営委員会に経営基盤強化について諮問をし(甲三七)、同年七月一二日、右委員会は、大型預金を導入して組合財政基盤を確立することが急務であるとの答申をしたので(甲三八)、同日、古和浦漁協理事会は、組合財政健全化のために外資の導入を検討することを決議した(甲五〇の二二)。

これを受けて、同月二六日、上村組合長らは、中部電力に対し、古和浦漁協に三億五〇〇〇万円の預金をするよう依頼し、同年一〇月七日、中部電力は古和浦漁協に二億五〇〇〇万円の預金をした(甲五〇の二九、三〇)。

一方、業務運営委員会が同年八月一一日に実施した、原発先進地漁協の勉強会(視察)についての組合員の意識調査の結果(実施したほうがよいとする者八一名、必要ないと思う者六八名)を受け、同年九月、古和浦漁協理事会は、原発立地先進地の視察実施を決議し、同年一〇、一一月に、同漁協の役員らが、美浜原発及び丹生漁協を視察した。

同年一一月三〇日、古和浦漁協組合員有志代表者が、「海洋調査検討機関の設置」「経営危機打開策の実施」を求める要望書及び同要望書の趣旨に賛成する組合員九五名の署名簿を同漁協に提出した(甲二の一、乙二〇)。

同年一二月三日、古和浦漁協理事会は、海洋調査検討委員会の設置を決議するとともに、経営打開策について組合長に一任したので、同日、上村組合長は、中部電力現地事務所を訪問し、右の決議及び経営危機打開策を一任されたことを報告し、二億円程度の支援を要請したい旨を非公式に打診した(乙一八)。その際、上村組合長は、資金の使途については、海洋調査の勉強をするための資金や、漁業経営が苦しくなった組合員に対し、組合から貸付等の方法で援助するための資金として活用したい旨説明した。

同月七日、中部電力は、現地事務所を通じて、古和浦漁協に対し、預託金方式であれば同漁協からの支援の要請に応じられる見通しがついた旨を連絡し、条件等について説明をした。翌八日、上村組合長ほか二名の理事は中部電力現地事務所を訪れ、「漁業経営に関する支援のお願い」と題する書面により、中部電力に正式に二億円の支援を要請するとともに(甲二の二)、海洋調査の勉強に組合として取り組みたいと表明した。

同月一〇日、上村組合長は、中部電力の現地事務所の担当部長から預託に関する覚書の案文について説明を受け、概ね了解した。

同月一五日、古和浦漁協の上村組合長及び役員らは、中部電力伊勢営業所を訪れ、預託に関する覚書の内容について正式に確認し、その後、同漁協において、中部電力と同漁協との間で、預託に関する覚書を調印した。

翌一六日、中部電力は、古和浦漁協の口座に二億円を振り込んだ(第二事案の概要 二争いのない事実 2)。

(二) 中部電力における意思決定の過程

(1) 前記(一)記載の上村組合長らによる大型預金の依頼や原発先進地漁協の勉強会(視察)についての組合員の意識調査の結果などの古和浦漁協の動きを受けて、同年一〇月上旬、中部電力現地事務所は同漁協への経済的支援を検討するよう中部電力本店立地総括部に要請した。立地総括部及び現地事務所は、同漁協における原発推進派執行部誕生以後の原発推進の機運をこわさないように、また、漁業経営再建に取り組んでいる同組合との関係を悪化させないようにとの見地から、古和浦漁協から経済的な支援要請を受けた場合は、会社として受け入れられる適当な支援策があれば、これに応じざるを得ないと判断し、漁業施設の整備への協力、漁業振興に寄与する基金の創設、漁協への金銭の預託など具体的な支援策についての検討を開始した。

(2) 同年一一月二〇日ころ、現地事務所は立地総括部に対し、古和浦漁協の有志が海洋調査受け入れに対する賛同と、組合役員への対応を求める署名運動を開始した旨の報告をし、中部電力立地総括部及び現地事務所等は、支援策として預託金方式を具体的に検討し始めた。

預託金方式は、漁業支障に対する実害補償金の一部を一旦中部電力から古和浦漁協に預託し、海洋調査が決定した時点で預託金を実害補償金に充当するものであり、預託された金銭を漁協の裁量で運用でき、漁業経営の改善にとって有効であること、また、海洋調査についての同漁業の同意が得られる見通しが出てきたことから資金の回収可能性の問題も解決でき、中部電力としても受け入れやすい方法であることから検討の対象となったが、その結果、次のとおり預託の条件が整理された。

① 将来、海洋調査について古和浦漁協との間で合意が成立した場合に支払われることになる実害補償金の一部に相当する金額のお金を漁協に預託すること。

② したがって、預託する金額は実害補償金の試算額を上回らないこと。

③ 預託金は、漁協が海洋調査の実施に同意し、実害補償金額が確定した場合は、その実害補償金額の一部に充当されるものであること。

④ 預託期間は一年間とすること。

⑤ 預託期間内に実害補償金に充当できない場合には全額返済してもらうこと。

⑥ その場合の返済方法は別途古和浦漁協と協議すること。

立地総括部は、預託金方式を検討する過程において、海洋調査の実現の見通しと預託金の保全の必要性を重点的に検討した。

海洋調査実現の見通しについては、前記(一)に認定した古和浦漁協における原発推進派執行部誕生以後の動き、特に一一月三〇日に組合有志による「海洋調査検討機関の設置」「当面の経営危機打開策の実施」を求める要望書が古和浦漁協に提出され、一二月三日に開催予定の同漁業の理事会においてそれが検討される見通しがあることなどから、近い将来古和浦漁協が海洋調査の実施に同意するのはほぼ確実であるとの結論に達した。また、海洋調査の範囲は、立地地点の全面海域に漁業権を有する古和浦漁協と錦漁協のほか、長島町漁協、方座浦漁協の各共同漁業権設定区域になっているところ、古和浦漁協のほか錦漁協についても海洋調査の同意が得られることは確実であり、仮にその他の二漁協の同意が得られない場合でも、温排水による影響範囲を古和浦漁協及び錦漁協の各共同漁業権設定区域に縮小して、環境影響調査としての海洋調査を実施することも可能であり、また海洋調査を環境影響調査として実施できない場合であっても、自主的な調査の結果を後日行われる環境影響調査に利用するなどして活用できるとの結論に達した。

預託金の保全については、海洋調査実現の見通しがあり預託金の返還を求める可能性は低いと考えられること、預託期間は一年間と比較的短期間であること、担保権設定等の保全措置を講ずるのは、古和浦漁協の執行部を信用していないかのように受け取られかねないこと、同漁協は担保権が設定されていない約二億円相当の土地(南島町栃木竈字浜谷一八番五雑種地四九五〇平方メートル)を所有していることから(なお、右土地については、後に中部電力から依頼を受けた中央鑑定コンサルタントが平成六年四月一四日付けで一億九八四九万五〇〇〇円と鑑定した(乙一七)。)、保全措置はとらないとの結論に達した。

被告太田、被告殿塚は、これらの検討に随時参加しては、必要に応じて、検討事項等の指示をした。

(3) 同月三〇日頃、現地事務所は立地総括部に対し、古和浦漁協組合員有志代表者による要望書等が提出された旨の報告をし、翌一二月三日、同日開催の古和浦漁協理事会において海洋調査検討委員会の設置が決定されたこと及び上村組合長から非公式に二億円程度の支援要請があったことを報告した。

(4) 一二月上旬、被告殿塚ら立地総括部は、再検討を行った。その際、実害補償額についても試算を行い、調査に伴う漁業支障のうち特に支障の程度が大きいと考えられる定点調査に限って概算しても、補償額が一年間で九五〇〇万円となり、調査期間に対応する三年間を前払いすることから複利年金減価率を乗じた三年分の補償額では、二億円を上回る計算結果が得られた。被告殿塚ら立地総括部は、検討の結果、古和浦漁協の二億円の支援要請に応えられると判断し、被告太田にその旨上申した。

(5) 被告太田は、本件支出についての最終決裁権者であるが、被告殿塚らと最近の情勢分析や海洋調査実施の見通し、預託金保全の必要性について改めて検討した結果、古和浦漁協から正式に支援要請を受け、かつ同漁協が中部電力の預託の条件をすべて受け入れるのであれば、預託金方式により支援要請に応じざるを得ないと判断し、さらに慎重を期すため、一二月七日に開催が予定されていた電源総合対策会議において社長以下に説明し、意見を聞くこととした。

(6) 同月七日、中部電力総合対策会議が開催され、被告安部、被告太田、訴外太田宏次、被告齋藤、被告新井、被告内田が構成員として、被告木村、訴外佐藤太英が幹事として、被告殿塚が説明者として出席した。

被告殿塚は、右席上、①古和浦漁協の支援要請に応じたい、②預託金方式とする、③実害補償金は二億円を超えることは確実である、④同漁協が海洋調査に同意することは確実である、⑤一年内に海洋調査の同意が得られない場合には、預託金を返還してもらうことになるが、そのような事態は考えられない、また、同漁協の資産並びに預託金が一年以内にすべて費消されることも想定できないので、回収不能という事態は考えられない、旨説明した(乙一九)。

これに対して、出席者から、支援要請に応じなかった場合の影響、海洋調査実施の見通し、預託案の詳細、預託金保全の必要性等について様々な質問が出され、被告殿塚は逐一これに回答し、各出席者は了解した(乙二一)。

(7) 被告太田、被告殿塚及び訴外渡邉立地総括部担当部長は、右会議終了後引き続き、訴外松永亀三郎会長に同会議におけると同様に説明し、その了解を得た。

(8) 同日、中部電力は、現地事務所を通じて、古和浦漁協に対し、預託金方式であれば支援要請に応じられる見通しがついた旨を連絡し、条件等を説明した。

(9) 同月八日、上村組合長は、正式に二億円の支援を要請したので(甲二の二)、同月一〇日、被告太田は、最終的な決裁権者として、本件二億円の預託の実施を決裁した。

3  支出後の事情

(一) 同年一二月二〇日、古和浦漁協は、本件の二億円を原資として組合員一名あたり一〇〇万円の年越し資金支給を開始した(甲二九の一ないし四、甲二の五の一)。

(二) 平成六年一一月三〇日、中部電力は、古和浦漁協に対し、海洋調査の実施を申し入れ、同年一二月一六日、中部電力と古和浦漁協は、預託期間を同漁協が海洋調査の実施の申し入れの件を付議する臨時総会を開催できた日の翌日から一週間を経過した日として延長する旨の合意をし、確認書を取り交わした(乙五)。

(三) 同月二八日、古和浦漁協の臨時総会において、海洋調査の受け入れが決議され(甲五〇の一八五ないし一九六)、同日、中部電力は古和浦漁協との間で海洋調査の実施に関する協定書を締結し、実害補償金の額を二億五〇〇〇万円とすること、うち二億円については、平成五年一二月一五付け覚書に基づく預託金を充当し、残金五〇〇〇万円を支払うことを合意した(乙四)。

二  争点1について検討する。

1 前記一1で認定したところによれば、被告らは、漁業経営の不振を背景とする古和浦漁協からの熱心な経済的支援の要請を受け、同漁協における原発推進派執行部誕生以後の原発立地推進の機運をこわさないように、また、漁業経営再建に取り組んでいる同組合との関係を悪化させないようにとの見地から支援の方策を検討するなかで、同漁協において近い将来海洋調査の同意決議が得られるとの見通しが出て来たことを知り、海洋調査の同意が将来得られ、同漁業に補償金を支払う可能性があることを前提として、預託金方式による経済支援をすることを決めたのである。本件支出は、原発の立地推進の観点から必要性があり、また、預託金の回収可能性の観点から許容性があるとの認識判断のもとに、経営上の判断として決まったものである。

株式会社の取締役は、法令及び定款の定め並びに株主総会の決議に違反せず、会社に対する忠実義務に背かない限り(商法二五四条の三)、経営上の裁量を有しているが、本件においてもこれが妥当する。したがって、経営上の判断において、その前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、意思決定の過程において、企業経営者として特に不合理、不適切なところがあるといえない限り、当該取締役の行為は、取締役としての善管注意義務ないしは忠実義務に違反するものではないと解するのが相当である。

2  原告らは、第一に、本件支出は古和浦漁協の海洋調査の同意決議を得るために意思決定を歪める目的でなされたと主張するので、まずこの点について検討する(争点1(一))。

前記1に説示したとおり、本件支出については、むしろ古和浦漁協の方から積極的に経済的支援を要請したというべきところ、被告らは、それを受け、同漁協において近い将来海洋調査の同意決議が得られる見通しがあることを前提として、預託金方式による経済支援をすることを決めたというのである。また、前記一3認定のとおり、本件二億円は、預託後、年越し資金として組合員一名あたり一〇〇万円が支給されたが、本件二億円の使途については、前記一2認定のとおり上村組合長は海洋調査の勉強や組合員への貸付等に活用したい旨説明したことが認められ、中部電力が古和浦漁協に対し本件二億円の使途を特定したという事情は本件全証拠を精査しても窺われない本件においては、右認定の事情を総合して判断すると、本件支出については、海洋調査に同意しないと預託金を返さないといけなくなるという状況を利用して、同漁協における組合員の意思決定を歪める目的があったと認めることはできない。したがって、この点についての原告らの主張は失当である。

そして、前記1に説示したとおり、本件支出は、原発立地推進の機運をこわさないようにとの見地からなされたものであるが、前記一1に認定したとおり芦浜原発の立地推進は中部電力において重要な既定の経営方針の一つであり、右の見地から本件支出をする旨の判断をすることについては、これを変更しなければならない特段の事情も窺えない本件においては、中部電力の取締役として、善管注意義務ないし忠実義務に反するものではない。

3  次に、原告らは、本件支出が原告らの算定する海洋調査の実害補償額と比べて不当に多額であること、また、海洋調査の実施の見込みがないことをもって、本件支出が違法であると主張する(争点1(二)(三))ので、これらの点について併せて検討する。

(一) 前記一2認定のとおり、被告太田、被告殿塚は、預託金方式を検討した際に、預託金の額は海洋調査実施に伴う実害補償金の試算額を超えないことを条件としており、その検討の過程で海洋調査実施に伴う実害補償金の概算額を試算し、実害補償額は、別紙②のとおり年間九五〇〇万円であり、調査期間に対応する三年分を前払いすることから複利年金現価率を乗じた三年分の補償額では、二億円を上回ることになるから、被告太田らは、本件預託金の額が実害補償額を超えないであろうと判断したが、その試算の根拠は、証拠(<省略>)によれば、次の①ないし③のとおりである。

① 海洋調査実施に伴う実害補償金については、調査により漁業支障が発生すると予想される支障範囲内における、一時的な漁業休止によって減少する漁業所得相当額を補償するものとして算定し、算定にあたっては、支障範囲の広さや作業期間の長さの点で特に支障の程度が大きいと考えられる定点調査のみを対象とする。

② 補償額を算定する基礎となる漁業所得の減少額は、調査項目ごとの支障範囲や、作業期間及び作業内容等から漁業支障の程度を勘案して求める。すなわち、古和浦湾内において行われている、はまち、たい、あじなどの魚類養殖と古和浦湾内及び湾外において行われている一般漁業とに区分し、魚類養殖は、対象漁種別に県の許可を受けた区画漁業権設定区域内で営まれるが、その補償については、調査期間中、調査で占有することになる支障範囲が右区域に占める割合について、漁業所得が減少するとみなし、一般漁業についても、調査期間中に共同漁業権設定区域内を占有する面積に相当する漁業所得が減少するものとみなして算定する。

補償額算定の基礎となる年間の漁業所得の減少額は、魚類養殖と一般漁業のそれぞれについて、年間漁業収入に年間の支障率を掛けて漁業収入の年間減少額を算出し、これに所得率を掛けて求める。

魚類養殖についての支障率は、定点は三カ所、定点一カ所あたりの支障範囲は古和浦湾内では半径一五〇メートルの円内の半分、年間をとおして支障を与えるとみなして算出すると、約一一パーセントとなる。

一般漁業についての支障率は、連続調査定点は、湾内に一カ所(支障範囲は半径一五〇メートルの円内)、湾外に三カ所(一カ所あたり半径二五〇平方メートルの円内)、四季調査定点は湾内に二カ所(支障範囲は一カ所あたり半径一五〇メートルの円内)、湾外に六カ所(一カ所あたり半径二五〇平方メートルの円内)(ただし、四季調査については、年間の支障期間は六八日間)として算出すると約六パーセントとなる。

平均年間漁獲高については、別紙②のとおりであるが、魚類養殖については、市場外取引や自家消費分も考慮して、古和浦漁協の業務報告書に記載の数字に1.5を掛けて補正した。

所得率については、別紙②のとおり、「第三九次三重県農林水産統計年報(平成三年ないし平成四年)」による。

③ 調査期間は、本件の地域はリアス式の複雑な海岸地形になっており複雑な海流の動きがあると予想されること、原発立地をめぐって、漁業者との間に長年の経緯があることなどから、十分な時間をかけて慎重に調査をする必要があると考えられることから三年間とする。

なお、前記一3に認定のとおり平成六年一二月二八日、古和浦漁協の臨時総会において、海洋調査の受け入れが決議され、実害補償金の額を二億五〇〇〇万円とすることとされた。

右の事実によれば、被告太田らは、本件支出を検討するにあたり、客観的な信頼できる資料に基づいて海洋調査の実害額を算出したうえでその額を検討したということができ、判断の前提となる事実の認識に重要かつ不注意な誤りの存在を窺わせる証拠はない。

(二) 次に、海洋調査の見込みについては、被告太田らは、前記一2に認定のとおり、古和浦漁協に原発推進派執行部誕生以後の同漁協の動向に基づいて同漁協において近い将来海洋調査実施についての同意が得られる見通しがあると判断し、長島町漁協、方座浦漁協の同意が仮に得られない場合でも同意が得られる見込みのある古和浦漁協、錦漁協の各共同漁業権設定区域に縮小して、環境影響調査としての海洋調査を実施することも可能であり、また海洋調査を環境影響調査として実施できない場合であっても、自主的な調査として海洋調査を行った場合、その結果を活用できると判断したが、右の判断の前提となる事実の認識に重要かつ不注意な誤りを窺わせる証拠はない。

(三)  以上によれば、本件支出は、海洋調査の補償金そのものとして支払われたものではなく、預託期間内に同漁協が海洋調査に同意し、補償金が確定した場合には、預託金は補償金に充当されるが、充当できない場合には返還するという預託金として同漁協に支払われたものであるところ、前記2に説示したとおり本件支出は中部電力の需要な経営方針である芦浜原発立地推進に沿ったものであり、本件支出については前記一に認定したような背景事情及び経緯があること、本件の預託金の回収可能性については、前記(一)(二)に説示したとおり、海洋調査実施の見通しや海洋調査による実害補償額の見積もりについて検討がなされ、そのうえで、預託期間は一年間であり、また、同漁協は預託金に見合う価値の不動産を所有していることを前提として判断がなされていること、被告らは、情報を収集し、分析、検討を加えて慎重な討議を重ねたことなどを総合すると、本件において、被告らが二億円の預託金を支出するについて、その判断の前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあるとはいえず、意思決定の過程においても、被告らに、企業経営者として特に不合理、不適切なところがあるとはいえない。

そうすると、被告らには、原告らが主張するような善管注意義務ないし忠実義務に反した違法があるとはいえない。

三  以上の次第であるから、争点2について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

第四  結語

よって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官稲田龍樹 裁判官土谷裕子 裁判官森脇江津子)

別紙①・②<省略>

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